みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて35年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪ noteも書いています(https://note.com/child_books/)

2018年02月

1月、2月の文庫活動

1月と2月の文庫活動の様子を備忘録として記しておきます。

1月13日・・・この日は長女のシンガポール日本人学校〜高校時代の友人がお子さんを連れてきてくれまIMG_0229した。午後からはご近所の常連たちが来ました。
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長女の友人は、息子さんのために次々「読んで」って持ってくる絵本を読んであげていました。ママにたくさん絵本を読んでもらえる時間にすごく満足しているようでした。

ママに読んでもらったり、私のところへ「読んで」と持ってきたり。この日はいっぱい読みました。

1月27日・・・この週の22日には東京も4年ぶりの積雪となりました。なんと22センチもの積IMG_0307雪です。

IMG_0322我が家の周りは、翌日23日に、仕事から帰宅してから頑張って除雪しました。(朝は早めに出勤するために雪かきしている暇がなくて)

翌24日の朝は、雪かきしていても凍結してつるっつるでした。家の周りでは雪で気を付けて歩いて転倒しなかったのに、通勤途中の橋の上で転んで、右足を捻挫・・・
いやはや。情けない・・・

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それでも27日は文庫をオープンしました。(弟が前夜から出張で上京していたので、開室準備を手伝ってもらえて助かりました)
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この日から、門の外に「文庫開催中」のサインボードを置くことにしました。

また絵本の展示架も購入し、玄関入ってすぐにその月の特集絵本を目立つように並べて、手に取れるようにしました。


この日は長女の幼稚園〜小学校低学年時代の幼馴染が二人のお子さんを連れてIMG_0341遊びに来てくれました。親子二世代の文庫利用者誕生です。

昆虫が大好きな男の子(たまたま長女の幼馴染親子とは、おばあちゃんちが近所で顔見知りでした)も来てくれて、たくさんの絵本を読んでいきました。

まだ道路が凍結していて、歩きにくい中を来てくれてとても嬉しかったです。

午後からは小学生の姉妹や、大人の利用者がちらほらと来てくれました。1月は2回開催して、利用は合計8組。

ゆるゆるとした歩みです。

2月3日は開催予定でしたが、大学時代の恩師が亡くなって急遽お休みにしました。




2月17日・・・この日も長女の幼馴染親子が来てくれて、今回は長女も幼馴染に会うために実家に戻ってきてくれました。IMG_0537
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下に妹が生まれてお兄ちゃんになった男の子。この日は絵本をたくさん積むことに夢中になりました。

自分の身長よりも高く、いっぱい積み上げて大満足。
こんなことも思いっきりできるのも文庫のよさですね。とことん付き合いますよ♪


この日はお天気も良く、たくさん来てくれるかな・・・って思っていたのですが、ちょうど文庫開催の時間帯に平昌オリンピック男子フィギュアスケートフリー決勝の演技があったためか、長女の幼馴染親子だけの利用でした。

そんなわけで、お昼休みからは文庫の部屋で、お昼を食べながら長女&幼馴染親子ででオリンピック観戦しました。羽生君、宇野君の滑りをLIVEで見られたのはラッキーでした。



さて、3月の文庫開催予定日は・・・3日と24日(いずれも土曜日 10:00〜12:00、13:00〜16:00)です。

桃の節句の絵本、春を迎える絵本などを用意してお待ちしています♪

(見学希望の場合は、コメント欄あるいはこちらのメールアドレスへご連絡ください)

地下迷宮を脱出

件の歌の炎上騒ぎでブログが急にバズってしまって・・・それ以来ブログ書くのも億劫になっていたけれど

このブログは備忘録だってことを忘れないように、2月ももう終わりだけど1月に長女と一緒に参加した東京メトロの脱出ゲーム「地下謎への招待状」のことを書いておきます。

このリアル脱出ゲーム、数年前から話題になっていて、図書館でもあちこちで実施していて、図書館に興味のないティーンズ世代を図書館に足を向けるイベントとして注目していましたが、私自身はやったことがなかったのでした。

通勤で東京メトロを使っているので、イベント広告は何度も目にして「面白そう」とは思ってても、自分から参加する気にはならなかったのですが・・・

長女に「母さん、地図とか、路線図とか、好きでしょ?一度一緒にやってみない?」と誘われて、二つIMG_0256返事で参加することに!

このイベント、昨年10月1日から始まって1月31日までの4か月間開催。私たちは終了ぎりぎりの1月21日(日)に地下謎への招待2017に参加しました。

朝10時に長女と東京メトロ銀座駅で待ち合わせ。参加するためのキットを購入。一旦銀座木村屋のカフェで朝食を摂りながら作戦会議をまずしIMG_0288ました。

腹ごしらえが終わって、長女と銀座駅からスタート。まず最初に行く駅のことがキットを購入した定期券売り場にあるというので、そこに寄って最初の問題がある駅へ。
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ここでの3問の問題で、今回First Missionの問題が置いてある駅6駅がわかりますIMG_0585。黄・赤・青ひとつの問題につき2駅ずつ指定されます。(そのいずれかに行けば答えを出せる)そうやって、3駅まわって隠された謎を解いて、答えを当てはめると・・・キットの中に入っていた💛
の封筒を開けとの指示が・・・IMG_0586



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けれども、その指示がまた難しい・・・まあ、ほんとにキットの中にあるいろんなものを使って(そうそう一日乗車券も謎を解くためのアイテムになっていました。ここは、ランチをしながら作戦会議しました。



謎を解くために、指定された駅の構内だったり、駅の外にある公園だったり、舗道にIMG_0261あるモニュメントだったりと、いろんなものに誘導されていき、いつも通っていたのに意識してなかったな〜と改めて街の中にあるArt作品に目を向ける機会になりました。IMG_0270





「地下謎」といってもずっと地下鉄を乗り換えているだけではなく地上に出て、歩いて探して・・・

IMG_0266よく問題が考えられていて感心するばかり・・・

IMG_0581クイズを解くための柔軟な頭、発想力、それが鍵でした。



IMG_0275だってね、ミッションの途中で購入するように指示された水のラベルが、問題を解くアイテムになるなんて・・・



IMG_0267あるいは職場の近くにある文京区役所の柱に描かれている絵がそのヒントになるなんて・・・




IMG_0271何度も通ったことのある地下通路にあるモニュメントがその問題を解くカギになるなんて♪
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地下鉄の中の、駅の案内表示が乗換駅の指示を示していたり・・・ここ、間違えたら正しい問題にありつけない。




IMG_0582そしてです・・・最後まで解いて最終の駅にたどり着くと・・・

そこでスタンプを押すと、そこに新たなミッションが現れ・・・
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その指示に沿ってあるいていくと、こんな噴水のところに導かれ

一度使ったアイテムを水に浸せという指示が・・・
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水に浸すと・・・あらあらまた違った問題が見えてきて・・・

最後の最後まで、解くのにワクワク感と、ドキドキ感が続きました。IMG_0584




最後の問題が解けたら、ネットで答えを送信。


正解だったら、「ミッション完了」11時にスタートして、ランチタイムも含めて約4時間半かかりました。

地下鉄に乗ったり、降りたり、いっぱい歩いて(1万8千歩)、頭もフルに動かして、これって絶対老化防止に役立つ!ということで、また来年も長女と参加しようと約束しました。

この翌日に東京は雪が積もり・・・積もった2日後にお茶の水橋の上のブラックアイスバーンで滑って転倒、右足靭帯損傷を追ってしまった私。雪の降る前でよかった!

さて、脱出ゲーム。やっぱり問題の作りをどこまで洗練されたものにするかが重要だなって思いました。図書館での脱出ゲームも洗練したものにブラッシュアップさせる必要があるなって思いました。




子育ては恵みの時間、シェアしつつ乗り越えて・・・

2月12日(月)

先週の日曜日午後は、JBBY国際アンデルセン賞講座第五回”田島征三さん、角野栄子さんに聞く”に参加し、その後銀座で長女と待ち合わせてはらぺこあおむしカフェで食事し、帰宅したのは夜遅くなってから・・・(講演会のこと、はらぺこあおむしカフェは後日記事にします)

iPhoneのtwitterの通知がいっぱい付いてることは気が付いていましたが、アンデルセン賞講座の間は電源を切っていたし、はらぺこあおむしカフェでは長女と盛り上がっていて、リツイートの中身について知ったのは帰りの電車の中でした。

絵本コーディネーターの東條さんが主宰する「絵本の100年と未来研究会」の第3回「『ママがおばけになっちゃった』とその続編(のぶみ作 講談社)を考える」(→こちらに参加した2016年10月19日の帰りの電車の中で呟いた連続ツイートをまとめたtogetterの記事がすごい勢いでリツイートされていたのです。(togetter記事→こちら

帰宅してPCを立ち上げてみると、このブログへのアクセスも驚くほど伸びていてびっくり。その時点ではのぶみ作詞の歌「あたしおかあさんだから」が炎上していることを知らず、?状態。で、100年絵本のメンバーに聞いて、初めて「あたしおかあさんだから」が炎上していることを知ったのでした。

それから1週間が過ぎて、その時のアクセスがいかに異常だったかというと・・・(画像をクリックすると拡大します)のぶみバズル3

私のブログは自分の備忘録的に書いていて、リアルな友人たちが時々覗いてくれるくらいの、一日100〜200くらいのPVなのに、一気に8000超え。これが炎のぶみバズル4上が広がるとともに、1万PV超えで・・・2015年、2016年に書いた記事なのに新たにコメントがついたりと、この1週間は不思議な感覚がありました。

夫の死の直後で、一番しんどい時期にのぶみ氏の絵本に傷つけられ、身体中の血液が逆流するような激情で書いた最初の記事再び、違和感のある絵本を問うが、今また掘り起こされてたくさんの方が読まれました。コメントも新たについて、殆どがよく言ってくれたというものですが、中には熱烈なのぶみファンからの非難もあり、歌の炎上が思わぬ波及効果をもたらしたようです。

さて、たくさんリツイートされる中で、私が今回炎上した歌についてどう思っているのか聞きたいというようなコメントもありました。

今回はその歌を聞いていないので、直接感想を書くことはやめておきます。ただ、4人の子どもたちを育て、昨年秋に末っ子も成人し、子育ても一段落した今、私が子育てに思うことをまとめておきたいと思います。

ひと言でいえば、子育ては恵みの時間でした。また豊かな経験が出来たと思っています。でも、それは子育てが終わってみて言えること。渦中にいる時はそんな余裕はなかったです。

また、私の親友の中に子どもが好きで、望んでいたのに数回流産を繰り返し、子どもを持てなかった人もいます。その想いを知っているだけに、子育てに関われたのは、ほんとうに天からの恵みであって、自分の手柄でもなんでもないとも思っています。

父が牧師で赴任先に付属幼稚園があり、父が園長も兼任しており、子どもたちの中で育ちました。子どもが好きで大学、大学院で幼児教育学を学んだほどです。

26歳で結婚し、27歳で第1子出産し、その後29歳で第2子、31歳で第3子、37歳で第4子と、4人の子どもたちを与えられました。

子どもは大好きであっても、子育てはしんどい時期が多かったです。夫が転勤族で、しかもバブル期などは子どもたちが起きる前に出勤し終電で帰宅する夫に子育てを頼るわけにもいかず、今でいう「ワンオペ」育児でしたから、文字通り髪振り乱していた時期がありました。(家庭内単身赴任って思っていました)

特に一人目の時は、誰も知り合いのいない海外でのいきなりの子育てで、生後間もない長男を抱いて何日も家から出られず、部屋の白い壁が迫ってきて押しつぶされそうな気がしました。今思えば育児ノイローゼのような感じでした。また、幼児教育の専門家なんだから「良い子」を育てなきゃっていう、自分で自分を追い込んでいた部分もありました。

でもね、やっぱりその枠に押し込むことは母子ともに辛い、まず母であることを楽しもうと思ったのです。(前を向けたのは、香港の日本人教会で出会った先輩ママ、友人たちの祈りのおかげです)

二人目が生まれた時に、当時住んでいた香港で同じ日本人教会に通う友人と「プレイルームどんぐり」を始めました。毎週水曜日の午前中、我が家のリビングでわらべうたや手遊びをしたり、絵本の読み聞かせをしたりという会員制の子育てサークルでした。(この活動は、一緒に立ちあげた友人が今も香港で続けているのですよ!)

その後、帰国して東京でも「プレイルーム&絵本の会ちゅうりっぷ」を立ち上げて、その後文庫活動へと繋がってきました。

ひとりでの子育ては辛かったけれど、同じ思いのママ友と繋がることで、思いを共有し、一緒に子育てすることで、その大変さを軽減することが出来ました。(時には子どもを預け合って、それぞれの好きなアーティストのライブに行ったりも!)

子育てを振り返ってみると、子どもたちを通してたくさんのママ友と出会ったこと、子どもたちが成人して子ども同士は疎遠になっていても大切な友人たちだということ、それはほんとうに恵みです。

もちろん、恵みとは思えないくらいしんどい時期もありました。仕事のオファーがあっても断らざるをえなかった時、思春期の嵐の中で親子ともども錐もみ状態になった時、子育てに加えて義父母の介護が重なった時は、「私の人生、返せ!」ってイライラしてしまうこともありました。(それは夫婦の危機にもなってしまうほどでした)

今、4人の子どもたちは同じ親から生まれたの?っていうくらい、それぞれに個性豊かに能力を発揮して自分の足で人生を歩き始めています。夫が亡くなった時は、子どもたちの存在がどれほど支えになったことでしょう。今では子どもたちの方が私を導いてくれていると感じることさえもあります。

彼らは神様から与えられた宝物だって思います。子どもって、母親の所有物ではないんですよね。別の人格を持っている対等の人間です。もちろん成人するまでは、親がその養育に責任を負うのですが、親の願うレールを走らせようとは思いませんでした。

子ども時代からたくさん会話をし、なにより彼らの言葉に耳を傾けることを心がけて来ました。それはこの記事の一つ前にも書いた大学時代の恩師の教えが大きいと思います。

私の出身学科の先生たちの口癖は「手を出すな、口を出すな、でも目は離すな」。そして背後で祈れと教えられました。親が手を出し、口を出したほうが子育ては楽に行くこともあるけれど、極力自分で考えて自分で決断できるようにと、でもいつも子どもたちの表情や言葉の端々の変化には気を付けて、必要な時はさりげないサポートが出来るようにと心がけていました。

振り返ってみると、しんどい期間って長い家族の歴史の中のほんの短い期間。大変だけど、子どもたちが一番可愛かった時期でもありました。だって、こんな頼りない私に対して全幅の信頼を寄せてくれていたのですから、幼い手を握ってこの子達を守りたいって思えました。

今回、炎上した「あたしおかあさんだから」では、そのしんどい部分だけが強調されて、逆にお母さんと言う役割の中に閉じ込められるようなそんな空気を感じたのかもしれません。ここには、日本の古い時代、封建制度のころからの「家」の考え方、男尊女卑の考え方が100年以上の時を超えても地下水脈として残っていて、なにかの拍子に意図せず出てきてしまうのだと思います。社会構造が大きく変わっているのに、そこだけ旧態然としているからこそ、余計に違和感が強くなるのではと思います。

私は若いママたちに、子育ての大変さも誰かとシェアしたら楽になるよ、って伝えたい。

親や夫のサポートが望めなくても、子育てを友人たちとシェアし、カバーし合うことでかなり肩の荷が下りると思います。先輩ママたちの声も支えになるかもしれません。地域に文庫とか子育て支援のコミュニティがあるといいですね。私も、そんな場所を作りたくて、フルタイムで勤務しながらも家庭文庫を開始しました。

最後に子育て中のママたちに送りたい応援歌、詩を送りたいと思います。twitterでもシェアされていましたが、詠み人知らずの「Today」という詩。英語で書かれていたこの詩を詩人の伊藤比呂美さんが翻訳したものが福音館書店から出ています。

「今日、わたしはお皿をあらわなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ  
浸したおむつはだんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが 床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだと思う
人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの?とか
わたしは、この子が眠るまでおっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまでずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日 何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えればいいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ」

(伊藤さんの講演会で、この詩を多くのお母さんたちに知ってほしいから、シェアOKと言われたので全文掲載しました。この詩に素敵な絵がついています。ぜひ本を手に取ってください)
***********************************
私以外のたくさんの方が、件の歌の炎上について書いているので参考までにリンクを貼っておきます。

Huffpost「あたしおかあさんだから」歌詞への批判受け、絵本作家のぶみさんがコメント「これはママおつかれさまの応援歌」2018/2/5  13:16」

Huffpost中野円佳「母の自己犠牲を描くとなぜ炎上するのか のぶみ作詞「あたしおかあさんだから」を認知的不協和から考える」2018/2/5 13:57

春名風花オフィシャルブログ「与える側」2018/2/6 9:23

BuzzFeedニュース小林明子「「親だから」の呪縛。子どもを放置して死なせた親は、育児を”頑張っていた”」2018/2/6  17:01

スズコ、考える。「のぶみ氏の絵本や歌に対する思いをまとめました。」2018/2/7

Yahooニュース「「反論から一転、「僕がバカだった」と謝罪 「母の自己犠牲美化」と批判出た曲の作詞者」2018/2/8 12:11

Cakes渡辺由佳里「アメリカはいつも夢見てる」「あなた おかあさんではないから」他人の苦悩を想像で代弁すると”傲慢”になる」2018/2/8

朝日新聞デジタル「「おかあさんだから」育児は母親だけ?歌詞に批判の声も」2018/2/9 11:52

最後に、一番お母さんに認められて、癒されたいのは作者ののぶみ氏自身なんだと思います。twitterで彼が出演した「情熱大陸」の番組関係者が、母子関係のいびつさを呟いていました。そこが修正されないといつまでたっても子どもやお母さんに寄り添える作品は作れないのではと思います。

恩師、逝く。雪の降った日に・・・

2月1日(木)〜3日(土)

東京に二度目の雪が降ったこの日、大学のゼミの先生が亡くなったという知らせが友人から入りましはなた。午後の会議を終えてデスクに戻り、ふうっと何気なくiPhoneを手にして飛び込んできたのは、そのことを伝える友人からのLINEでした。この日の午後12時53分に息を引き取ったと、そして翌2日が前夜式、そして3日土曜日午前10時半から告別式だという知らせでした。92歳と8か月でした。

そのゼミ教授は尾崎恵子先生。大好きな先生でした。(2013年の訪問記→こちら

絵本論のゼミで、絵本を読み比べることの大切さ、絵の芸術性、言葉とのバランス、そういうことを徹底的に教えてくださいました。あの大学での学びがあったからこそ、今の自分があるといっても過言ではない。そんな先生の訃報を受けて、何が何でも飛んで行かなきゃ・・・と、終業時間を待ってJALにアクセスし、3日(土)に日帰りできるフライトを押さえました。

実は昨年11月に学科の同窓会があり、先生は高齢を理由に参加はしないというので一泊して同窓会のあとにご自宅まで会いに行く約束をしていました。ところが、その直前に父が亡くなり、同窓会もキャンセルしたのでした。父の葬送のために広島へ行く前に、直接先生に電話をしました。

電話口に先生が出られ、会えないことを残念がりながらも、また暖かくなったら会いに行きますと言ったら、待ってるよとおっしゃって電話を切られました。
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ああ〜あの時、会いに行きたかった。先生にもう一度会いたかった。心からそう思いました。

3日は朝4時に起きて、4時半に家を出て羽田空港へと向かいました。

朝7時過ぎのフライトで福岡空港へ。空港からは地下鉄で20分。西新の駅を出ると、もう浦島太郎気IMG_0394分。学生時代の面影はもちろん、2008年にゼミ同窓会で久しぶりに西新に来た時ともまったく変わっていました。ただ、学生時代からあった珈琲伊藤だけは変わらない佇まいでそこにありました。

ここで同じ尾崎ゼミ生で、卒業後もずっとお付き合いのあるKさんと待ち合わせ。このお店は尾崎先生もよく通っていらしたお店で、私たちが喪服を着ていたので「恵子先生の告別式に行くっちゃんね」って店主も女将さんも声をかけてくださいました。IMG_0395

大学の隣にある西南学院バプテスト教会が式場。大学に向かう道は、なんとサザエさん通りと名前がついていて、本館のそばにはサザエさんのモニュメントまで・・・同窓生が、サザエさん大学みたいになってるよって言っていたのは、こういうことなんだと合点。IMG_0396


残念なことに、この日は大学入試の日で、キャンパス内を横切ることは出来なくなっていました。



教会堂の中には、大学関係者、教会関係者(学生時代にお世話になった方々にもたくさん会いました)、教え子などたくさんの方が尾崎先生のことを偲ぶために集まっていました。

先生は、昨年秋に体調を崩されてから、ご自身で終活をなさっていたとのこと。生涯独身でいらして、隣り合わせに住んでいらした兄夫婦も先生が看取られていましたから、お世話をしてくださる周囲の方々へきちんと思いをご自身で書き残していらしたというのです。

告別式の中で歌われた讃美歌も先生がご自分で選んだおられたものでした。

”主よ、御手もて ひかせたまえ ただわが主の道を歩まん・・・”(285番)

”慈しみ深き 友なるイエスは 罪科憂いを取り去りたもう・・・”(312番)

”神共にいまして 行く道を守り 天の御糧もて 力を与えませ・・・”(405番)

牧師先生による先生のこれまでの歩みを振り返るお話の中では、牧師家庭に次女として長崎でお生まれになり、お父様が呉教会に赴任されている時に68歳で亡くなられたこと、その後西南学院神学部を出て牧師になられていたお兄様を頼って家族で福岡にいらしたこと、戦前17歳で洗礼を受け、戦後は西南保IMG_0398育専門学校を出られて保育の道へ。その後は後進を育てる仕事を実に45年間続けて来られたことが紹介されました。(そっか、先生も牧師家庭で育ったのですね。だからなのかな。ほんとうに可愛がっていただきました。)

時には西南学院早緑子供の園(保育園)の園長だったり、ある時は西南学院舞鶴幼稚園の園長として、また児童教育学科の教授として・・・

多くの子どもたち、先生方、学生、保護者に寄り添ってこられました。その背後に先生の篤い信仰、愛情をもって人を包み込む優しさがありました。

学生時代、卒論指導の際も息詰まると、視点を変えて少し肩の力を抜いて、子どもたちの姿を観察してごらんとおっしゃいました。机上の学問ではなく、あくまでも生きている子どもたちの育ちに寄り添うことの大切さを思い出させてくださいました。

恵子先生、私が大学院に進学する決意をしたのも、先生の研究室(児童教育学科の校舎6号館の別館、絵画制作室の横にありましたね)での会話でした。先生が”「西南はキリストに忠実なれ」という創立者C・K・ドジャーの言葉があるけれど、学部の教授陣の中のクリスチャン率が下がってきている。やはり信仰をもって後進の育成にあたる人を、学部の中から育てなければならない、当学には児童教育学の修士課程がないが、いずれ出来るといいと思う(現在は人間科学部の修士課程という形であり)。また国内に幼児教育学修士課程がぽつぽつと出てきていたので、そういうところで学んで戻ってくる人材を、と考えている”…とおっしゃって、それならば私自身がもっとたくさん勉強をしたい、そして保育者になるのではなく保育者を育てる人になりたいと先生に表明したのでした。

今考えると、実力もないのに、おこがましくもそう思ったのです。まさに若気の至りなのですが、そう決意できたのも先生のおかげでした。

私のあとに、後輩たちが続き、また同期の中で保育現場に出た後で院に進んだ人がいますが、当時児童教育学科が4年制になって数年、修士課程に進むのは初だとして、兵庫教育大学大学院に合格した時に、自分のことのように喜んでくださいました。この日一緒だったKさんは、保育経験を積んだ後、福岡教育大学大学院の博士課程まで進み、他大学ですが大学教授になっています。いずれ彼女が、母校に帰ってくれるといいなって願っています。

大学院に進学した後も、ずっとずっと気にかけてくださり、私も修士論文の時も、幼稚園に勤務して障害を持つ子どもたちの統合保育に取り組むときも、いつも的確なアドバイスをくださったのでした。
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告別式の中で、先生との思い出を代表して述べられた舞鶴幼稚園の元主任の「送る言葉」の中にも、多くの方々のそばに先生が寄り添ってこられたことがわかりました。

初めて知ったエピソードとして、バブル期に周囲の幼稚園が通園バスや給食を導入し、保育時間を延長し、入園児減少かという危機に、「子どもたちの育ちを第一優先に、当園は方針を変えない」と信念を貫かれました。そしてこの幼稚園の保育の良さを知る卒業生や保護者に声をかけ、幼児教育には何が大切なのかを確認しつつ口コミで理解者を募ったのだそうです。そうした強い信念は、浸透し、幼児減少の危機も最小限に抑えられたとのことでした。

普段は柔和で穏やかな先生が、「ダメなものは、ダメ」と、時流に乗ることをきっぱり絶って、決断されたのです。その凛とした姿勢がまた私たちを惹きつけたのでした。
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告別式のあと、喪主である先生の甥御さんとその奥様が、昨年11月23日に先生がしたためた遺書を読み上げてくださいました。後に遺されるものへの配慮と、そして感謝の気持ちが記されていました。

先生のその豊かな愛情を再び確認しました。もう生きて先生に会えないことは寂しいけれど92年と8カ月の長い人生の旅路が、祈りと愛に満ちていたこと、多くの人がそれを確認し合えたことで、心温まる告別の時となりました。

出棺の時に、参列者から自然と歌が沸き上がりました。27067768_1594932613922336_1414881978363014582_n

”うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を
イエス君の墓より いでましし 昔を”

出棺のあと、空から白い雪がはらはらと舞い散ってきました。
それを見上げて、先生の教えに相応しい仕事が出来ているかしら?と、自分の来たりし方行く末を思ったのでした。

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(その後、また珈琲伊藤に戻り、同期の友人たちと夕方近くまで先生を偲びつつ学生時代の思い出に花を咲かせました。「なに、まだおったと?」って、博多弁で先生が笑いかけそうな気がしました)

この記事に貼った絵画はどれも先生の作品で、我が家のあちこちに飾ってあります・
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