10月8日(日)9:30〜 @杉並区立郷土博物館
今月に入って「秋晴れ」と言える日がほんとうに少なくて滅入ってしまいますね。この週末は台風まで接近とのこと。明日22日の衆議院選挙は文字通り嵐の予感です。
さて、10月8日(日)の午前中に自転車で、区内の南部、大宮にある杉並区立郷土博物館へ「石井桃子生誕110年記念特別展―心にのこるおくりものー」展を見に行ってきました。
うちから自転車で20分強。(母が6月まで入院していたリハビリテーション病院にも近く、3~6月は毎週末通った道です)
この日は青空が広がって気持ちよく、サイクリング日和でした。(ちょっと汗ばむくらい!)
戦後の日本の児童文学・子どもの本をリードし、素晴らしい作品をたくさん私たちに遺してくださった石井桃子さんは、昭和14年(1939年)から荻窪にお住まいでした。
昭和33年(1958年)3月から、ご自宅を開放しての家庭文庫「かつら文庫」の活動を始められた石井桃子さんが、文庫の活動の様子を綴った『子どもの図書館』(岩波新書)を出版されたのが昭和40年(1965年)でした。
その本に学生時代に出合い(たしか、児童文学論の講義の際に、先生に勧められて手にしたのでした)、いつか私も自宅での子どもの本の小さな図書室、家庭文庫をやりたいと密かに決意し、その後東京は杉並に引っ越してきて、この地で本格的な文庫活動を始めたのも、なんだか子どもの本の神様に導かれていると(自分で勝手に^^)思っています。
91年に香港からの帰国命令で区内の社宅があてがわれ、杉並区に引っ越が決まった時、同じ区内に「かつら文庫」があることに小躍りしたのでした。(それと同じ西武線沿線にちひろ美術館があることも)
上の二人の子たちは、かつら文庫に通うチャンスを作ってあげられなかったのは、今思うととても残念でした。(3人目の出産、子育てで目一杯でした)
でも、帰国した翌年の92年から自宅でまずはプレイルーム、94年からは文庫活動を始めた時に常に意識していたのは「かつら文庫」の存在でした。
次女は「かつら文庫」で利用者登録をし、おはなし会にも参加しました。(登録してすぐに4人目の子を妊娠したため、次女のかつら文庫通いは2回だけでした・・・)
石井桃子さんのおはなしは、賛助会員になっていた東京子ども図書館などで何度か伺いました。今思えばもっともっと伺いたかったなあ。
石井桃子さんは、平成20年4月2日に101歳でお亡くなりなりました。それはとても寂しい出来事でした。亡くなられた後に、石井桃子さんには杉並名誉区民賞が贈られました。
今回は、その石井桃子さんが亡くなられて10年を迎え、改めて石井桃子さんの偉業を顕彰しようとして企画されました。この展示に先だって、郷土博物館の学芸員の方が、区内にある地域・家庭文庫10か所を訪ねて取材してくださいました。
杉並区内にはかつら文庫の活動に触発されて、昭和40年代以降、たくさんの家庭文庫、地域文庫が誕生し、一時期は20以上の文庫が活動していました。その後、地域図書館が整備されたり、文庫主宰者が高齢化して減っていきましたが、それでも現在10の文庫が活動をしています。(そのうち2つは現在は休室中)
我が家の「子どもの本の家ちゅうりっぷ」にも、3月25日に取材に来ていただきました。
石井桃子さんの生い立ちから始まって、石井桃子さんが犬養家でA.A.ミルンの『The House at Pooh Corner』に出合って、子どものための本の編集、翻訳、出版、研究に関わっていく過程、かつら文庫での日々、そしてたくさんの著作にかかわる資料などが、年代順に追って展示されており、非常にわかりやすく石井桃子さんの功績を伝えてくれていました。
その展示の最後のコーナーに、「杉並区の家庭文庫」の展示があり、現在活動中の8文庫や、今は活動を止めてしまった文庫の資料などが展示されていました。図録にもそれらの文庫の名前がきちんと記されていて、とても嬉しかったです。
日曜日の午前中、この日は運動会を実施している小学校や幼稚園が多かったこともあって、貸切状態でじっくり2時間かけて展示を見ることが出来ました。
この郷土博物館には、我が家のある地区から移築された江戸時代(寛政年間)の農家がそのまま展示されています。
囲炉裏端に座って庭を見ていると、当時の暮らしや子どもたちが大人からどんなお話を聞いていたんだろうなぁと、思いを巡らせて楽しくなりました。
この展覧会は11月26日(日)まで開催中です。お時間のある方はぜひ!(11月の我が家の文庫は諸事情により11月23日(木・祝)の1回だけですが、もし遠方から展覧会を見にいらした方はぜひ我が家へも遊びに来て下さい!)
今月に入って「秋晴れ」と言える日がほんとうに少なくて滅入ってしまいますね。この週末は台風まで接近とのこと。明日22日の衆議院選挙は文字通り嵐の予感です。
さて、10月8日(日)の午前中に自転車で、区内の南部、大宮にある杉並区立郷土博物館へ「石井桃子生誕110年記念特別展―心にのこるおくりものー」展を見に行ってきました。
うちから自転車で20分強。(母が6月まで入院していたリハビリテーション病院にも近く、3~6月は毎週末通った道です)
この日は青空が広がって気持ちよく、サイクリング日和でした。(ちょっと汗ばむくらい!)
戦後の日本の児童文学・子どもの本をリードし、素晴らしい作品をたくさん私たちに遺してくださった石井桃子さんは、昭和14年(1939年)から荻窪にお住まいでした。
昭和33年(1958年)3月から、ご自宅を開放しての家庭文庫「かつら文庫」の活動を始められた石井桃子さんが、文庫の活動の様子を綴った『子どもの図書館』(岩波新書)を出版されたのが昭和40年(1965年)でした。
その本に学生時代に出合い(たしか、児童文学論の講義の際に、先生に勧められて手にしたのでした)、いつか私も自宅での子どもの本の小さな図書室、家庭文庫をやりたいと密かに決意し、その後東京は杉並に引っ越してきて、この地で本格的な文庫活動を始めたのも、なんだか子どもの本の神様に導かれていると(自分で勝手に^^)思っています。
91年に香港からの帰国命令で区内の社宅があてがわれ、杉並区に引っ越が決まった時、同じ区内に「かつら文庫」があることに小躍りしたのでした。(それと同じ西武線沿線にちひろ美術館があることも)
上の二人の子たちは、かつら文庫に通うチャンスを作ってあげられなかったのは、今思うととても残念でした。(3人目の出産、子育てで目一杯でした)
でも、帰国した翌年の92年から自宅でまずはプレイルーム、94年からは文庫活動を始めた時に常に意識していたのは「かつら文庫」の存在でした。
次女は「かつら文庫」で利用者登録をし、おはなし会にも参加しました。(登録してすぐに4人目の子を妊娠したため、次女のかつら文庫通いは2回だけでした・・・)
石井桃子さんのおはなしは、賛助会員になっていた東京子ども図書館などで何度か伺いました。今思えばもっともっと伺いたかったなあ。
石井桃子さんは、平成20年4月2日に101歳でお亡くなりなりました。それはとても寂しい出来事でした。亡くなられた後に、石井桃子さんには杉並名誉区民賞が贈られました。
今回は、その石井桃子さんが亡くなられて10年を迎え、改めて石井桃子さんの偉業を顕彰しようとして企画されました。この展示に先だって、郷土博物館の学芸員の方が、区内にある地域・家庭文庫10か所を訪ねて取材してくださいました。
杉並区内にはかつら文庫の活動に触発されて、昭和40年代以降、たくさんの家庭文庫、地域文庫が誕生し、一時期は20以上の文庫が活動していました。その後、地域図書館が整備されたり、文庫主宰者が高齢化して減っていきましたが、それでも現在10の文庫が活動をしています。(そのうち2つは現在は休室中)
我が家の「子どもの本の家ちゅうりっぷ」にも、3月25日に取材に来ていただきました。
石井桃子さんの生い立ちから始まって、石井桃子さんが犬養家でA.A.ミルンの『The House at Pooh Corner』に出合って、子どものための本の編集、翻訳、出版、研究に関わっていく過程、かつら文庫での日々、そしてたくさんの著作にかかわる資料などが、年代順に追って展示されており、非常にわかりやすく石井桃子さんの功績を伝えてくれていました。
その展示の最後のコーナーに、「杉並区の家庭文庫」の展示があり、現在活動中の8文庫や、今は活動を止めてしまった文庫の資料などが展示されていました。図録にもそれらの文庫の名前がきちんと記されていて、とても嬉しかったです。
日曜日の午前中、この日は運動会を実施している小学校や幼稚園が多かったこともあって、貸切状態でじっくり2時間かけて展示を見ることが出来ました。
この郷土博物館には、我が家のある地区から移築された江戸時代(寛政年間)の農家がそのまま展示されています。
囲炉裏端に座って庭を見ていると、当時の暮らしや子どもたちが大人からどんなお話を聞いていたんだろうなぁと、思いを巡らせて楽しくなりました。
この展覧会は11月26日(日)まで開催中です。お時間のある方はぜひ!(11月の我が家の文庫は諸事情により11月23日(木・祝)の1回だけですが、もし遠方から展覧会を見にいらした方はぜひ我が家へも遊びに来て下さい!)