桜の花の盛りを過ぎ、裸だった落葉樹が萌黄色に染まる時期になりました。
冬の終わりの2月最後の日曜日の午後に、90歳の母が自宅階段から転落して救急搬送されてから、まもなく2か月が経とうとしています。毎年、一緒にお花見に行った善福寺川の桜も先週末は散り始めていて、今日はもう散ってしまっていました。
あの日、もう母は寝たきりになってしまうんじゃないか、この家に戻ってくれないんじゃないか、と思ったのでした。
その後、急性期の病院からリハビリ専門病院に移ってからは、まだ座れないうちから、一日3回、1回約40分のリハビリが始まりました。
最初は、寝たまま足を動かしたり、腹筋運動をしたり、キャッチボールをしたりという運動でしたが、2週間後には車いすに乗って移動できるようになり立つ練習も始まりました。4週目には歩行訓練が始まり、今では歩行器を使っての移動が出来るようになりました。
病院では、寝たきりにならないような対策が練られていて、また担当の理学療法士がついて退院まで継続してリハビリを行ってくれます。その細やかな配慮に頭が下がるばかりです。
また、急性期の病院でも、今のリハビリ病院でも、医療ソーシャルワーカーがいて、地元の地域包括支援センターのケアマネージャーさんと連絡を取り合い、さまざまな不安にも応えてくださっています。
また、ケアマネさんもすごい!
母がけがをした時、母も父も元気で自分の身の回りのことが出来ていたので、介護認定は要支援1でした。母の入院中に父も体調を崩していったので、すぐに介護認定調査の手配をしてくださり、それぞれすぐに訪問調査が行われ、認定審査会を経て、4月には母は要介護4、父も要介護1になりました。
とくに、93歳の父は、母が入院した後、日中ひとりで留守番することになり、食欲がなくなり、便秘と腹部膨満感を訴えるので、3週間ほど入院しました。宿便が取れたこともあって、退院することになり、その後をどうしようか、またひとりでの留守番で生活の質が落ちてしまうのではないか、そのまま食が細くなって枯れていくのではないかと心配しました。
介護老人ホームのショートステイを提案してくださって、病院を退院したその日のうちに、施設へと入ることが出来ました。ただし、要介護の適用は5月からということで、3週間のショートステイ代は自費でカバーすることになりましたが…でも、安心感が違います。右の写真は、ショートステイ先の施設の入り口で。「歓迎 〇〇様」という看板に迎えられ、感激するやら、恐縮するやら…
ショートステイ先の介護士さんたちも、父の体調に細心の注意を払ってくださって、意識的に声をかけ、根気強く傾聴してくださっています。病院からの移動で、当初は戸惑っていましたが、1週間後に行ったら自分より若い入居者の方々と親しくお喋りし、食事の量もほんの少しだけ増えていました。
母の病院でも、父が入院していた病院でも、今お世話になっている施設でも、医療スタッフや介護スタッフの働きを見ていて、どれだけ大変だろうと思うのに、笑顔を対応してくださっていて、頭が下がるばかりです。
5月からは介護保険を使っての、父の自宅介護が始まります。週3日のデイサービス(一日コース)、週1の訪問看護、週3日のホームヘルパー、月2回の訪問医療とを組み合わせて、日曜日以外は誰かが見守りをしてくれることになりました。
そして今日、4月21日、母の病院の担当理学療法士さんたちと、ケアマネさん、訪問看護師さんによる住宅環境調査でした。母を病院に迎えに行き、歩行器で病院玄関に降りて、一緒にタクシーに乗り込み、母は約2か月ぶりに一時帰宅しました。
理学療法士さんたちは、その後を追って病院の車で、自宅へ。
玄関先の階段を上がれるか、玄関周りの段差を調べ、手すりの必要性を確認し、室内の様子も調べて、どうすればここで生活が出来るか、ケアマネさんや看護師さんと、さまざまなことを想定しながら、話し合いをしてくださいました。介護保険で出来る住宅改修の範囲で、どこまで手すりなどつけられるか、丁寧にみてくださいました。
家族だけでは、途方に暮れるばかりで、ここまでできないと思いました。介護保険制度を活用するためのネットワークが出来ていて、安心しました。
母は、玄関の階段は介助があれば昇り降り出来ましたが、事故の起きた2階への階段はやはり怖かったもよう。昇る練習をしようとして、2段昇ったところで立ちすくんでしまいました。理学療法士さんが、この階段を昇れるようにこれから1か月のリハビリを考えてくださることになりました。
その一方でケアマネさんが、階段の手すりの改良と追加を提案してくださいました。なんとか、この家に戻って来られるかなぁ・・・母は、ケアマネさんに「娘に迷惑がかかるから、自分は施設に行くのがいいと思うのよ」とは言っていましたが・・・
6月上旬には、母も退院することになりそうです。(厚労省で回復期の病院も入院は90日間までと決められているのだそう)
これからも、しばらく介護の日が続きます。両親の人生の終わりの日まで、最善を尽くせるように、周りの方々のサポートを受けながら、粛々とやれることをやっていこうと思います。
冬の終わりの2月最後の日曜日の午後に、90歳の母が自宅階段から転落して救急搬送されてから、まもなく2か月が経とうとしています。毎年、一緒にお花見に行った善福寺川の桜も先週末は散り始めていて、今日はもう散ってしまっていました。
あの日、もう母は寝たきりになってしまうんじゃないか、この家に戻ってくれないんじゃないか、と思ったのでした。
その後、急性期の病院からリハビリ専門病院に移ってからは、まだ座れないうちから、一日3回、1回約40分のリハビリが始まりました。
最初は、寝たまま足を動かしたり、腹筋運動をしたり、キャッチボールをしたりという運動でしたが、2週間後には車いすに乗って移動できるようになり立つ練習も始まりました。4週目には歩行訓練が始まり、今では歩行器を使っての移動が出来るようになりました。
病院では、寝たきりにならないような対策が練られていて、また担当の理学療法士がついて退院まで継続してリハビリを行ってくれます。その細やかな配慮に頭が下がるばかりです。
また、急性期の病院でも、今のリハビリ病院でも、医療ソーシャルワーカーがいて、地元の地域包括支援センターのケアマネージャーさんと連絡を取り合い、さまざまな不安にも応えてくださっています。
また、ケアマネさんもすごい!
母がけがをした時、母も父も元気で自分の身の回りのことが出来ていたので、介護認定は要支援1でした。母の入院中に父も体調を崩していったので、すぐに介護認定調査の手配をしてくださり、それぞれすぐに訪問調査が行われ、認定審査会を経て、4月には母は要介護4、父も要介護1になりました。
とくに、93歳の父は、母が入院した後、日中ひとりで留守番することになり、食欲がなくなり、便秘と腹部膨満感を訴えるので、3週間ほど入院しました。宿便が取れたこともあって、退院することになり、その後をどうしようか、またひとりでの留守番で生活の質が落ちてしまうのではないか、そのまま食が細くなって枯れていくのではないかと心配しました。
介護老人ホームのショートステイを提案してくださって、病院を退院したその日のうちに、施設へと入ることが出来ました。ただし、要介護の適用は5月からということで、3週間のショートステイ代は自費でカバーすることになりましたが…でも、安心感が違います。右の写真は、ショートステイ先の施設の入り口で。「歓迎 〇〇様」という看板に迎えられ、感激するやら、恐縮するやら…
ショートステイ先の介護士さんたちも、父の体調に細心の注意を払ってくださって、意識的に声をかけ、根気強く傾聴してくださっています。病院からの移動で、当初は戸惑っていましたが、1週間後に行ったら自分より若い入居者の方々と親しくお喋りし、食事の量もほんの少しだけ増えていました。
母の病院でも、父が入院していた病院でも、今お世話になっている施設でも、医療スタッフや介護スタッフの働きを見ていて、どれだけ大変だろうと思うのに、笑顔を対応してくださっていて、頭が下がるばかりです。
5月からは介護保険を使っての、父の自宅介護が始まります。週3日のデイサービス(一日コース)、週1の訪問看護、週3日のホームヘルパー、月2回の訪問医療とを組み合わせて、日曜日以外は誰かが見守りをしてくれることになりました。
そして今日、4月21日、母の病院の担当理学療法士さんたちと、ケアマネさん、訪問看護師さんによる住宅環境調査でした。母を病院に迎えに行き、歩行器で病院玄関に降りて、一緒にタクシーに乗り込み、母は約2か月ぶりに一時帰宅しました。
理学療法士さんたちは、その後を追って病院の車で、自宅へ。
玄関先の階段を上がれるか、玄関周りの段差を調べ、手すりの必要性を確認し、室内の様子も調べて、どうすればここで生活が出来るか、ケアマネさんや看護師さんと、さまざまなことを想定しながら、話し合いをしてくださいました。介護保険で出来る住宅改修の範囲で、どこまで手すりなどつけられるか、丁寧にみてくださいました。
家族だけでは、途方に暮れるばかりで、ここまでできないと思いました。介護保険制度を活用するためのネットワークが出来ていて、安心しました。
母は、玄関の階段は介助があれば昇り降り出来ましたが、事故の起きた2階への階段はやはり怖かったもよう。昇る練習をしようとして、2段昇ったところで立ちすくんでしまいました。理学療法士さんが、この階段を昇れるようにこれから1か月のリハビリを考えてくださることになりました。
その一方でケアマネさんが、階段の手すりの改良と追加を提案してくださいました。なんとか、この家に戻って来られるかなぁ・・・母は、ケアマネさんに「娘に迷惑がかかるから、自分は施設に行くのがいいと思うのよ」とは言っていましたが・・・
6月上旬には、母も退院することになりそうです。(厚労省で回復期の病院も入院は90日間までと決められているのだそう)
これからも、しばらく介護の日が続きます。両親の人生の終わりの日まで、最善を尽くせるように、周りの方々のサポートを受けながら、粛々とやれることをやっていこうと思います。