先月の夫の一周忌にポストして以来、一か月以上ブログを書くことが出来ませんでした。whitehanataba2

夫が神戸・三ノ宮勤務時代に行きつけだったドイツワイン専門店ローテローゼでの一周忌記念会の後、6月上旬に12日間休みをとってCAに滞在するために、仕事の段取りと渡航準備で忙しく、帰国後の6月後半は、2週間の間に3つの講座(2つは図書館で、1つは朝活絵本会)と2つの研修を担当・・・
父さん一周忌@神戸_31
(←一周忌記念会@ローテローゼ。一人っ子だった夫のために兄弟姉妹のように過ごした従弟妹たちが集まってくれました)
父さん一周忌@神戸_21
渡航前後は、とても忙しくて帰宅してまでPCに向かうパワーがありませんでした。




一年ぶりのアメリカ、CA渡航の目的は次男の高校卒業式、次女の大学卒業式に参列すること。父親亡き後、二人はそれぞれ自力で・・・というか、多くの友人や先生たち、そして心ある方々の支えに寄って、アメリカで勉強を続け、6月にそれぞれ卒業することが出来ました。

昨年6月、日本での本葬のために一時帰国した後、8月半ばにそれぞれにCAに戻ったあと、二人は一度も日本へ帰らず、私も訪れず・・・つまり母親の私はこの一年何も出来ないままでした。

二人を支えてくれたのは「あしながおじさん」の文化の根付く アメリカという国であり、また人々だったのです。

昨年、夫が危篤に陥った時、アメリカの夫の仕事のパートナーや、次男の親友の家族がすぐに援助を申し出てくれました。

とくに次男をホームステイさせてくださった親友ご一家は、ホームステイ代金を月々いかほどお支払いしましょか?と尋ねると、「あなたに支払ってもらう必要はない」とおっしゃる。びっくりしていると、「もちろん、払ってもらうけれど、それはあなたではなく○○(次男の名前)。〇〇が大学を出て、社会人になってお金を稼ぐようになったら、そこで返してくれればいい」と仰るのです。

そのまま受け取っていいいのか、日本人の文化では、いくらなんでもそれは厚かましいのでは・・・と、国際結婚していたり、長くアメリカに居る方々に聞くと、「あしながおじさんの国ですから」という答え。

次女の大学のさまざまな費用も、父親が亡くなったということで免除されたようです。(手続きは、みな自分たちでやっているので、私はきちんと把握できていない・・・)

危篤となった時点で、夫の口座がある銀行の担当者が、すぐに子どもたち名義に替えてくれて(アメリカでは夫婦でアカウントを持つので私のサインだけで)子どもたちがその後の生活に困ることがないようにしてくれたり、茫然としている私たちに次々に援助の手を差し伸べてくれたのでした。


今回、ひさしぶりに渡米する時、私の心に去来したのは「夫の居ないLAに飛ぶ」ということの圧倒的な寂しさでした。

「ああ、下の二人の子たちは、去年の8月にアメリカに戻って行く時に、父親が居ないかの地で生活しなければならない」という、侘しさを抱えて飛んだのだな・・・と、初めて彼らの心の痛みがわかったのでした。
特に日本では、納骨式があったり、節目節目で葬送の儀式をすることで、気持ちを整理していくことができたのに、アメリカの二人にとってはそれが出来ず、心の整理を付けるのがほんとうに大変だったようです。


心が折れて、何もてにつかない状態が続いた時、親身になってくれたホストファミリーの一族。あるいは夫の部下たち。アメリカにいる私の甥っ子、姪っ子たち。(子どもたちにとっては、頼りになる従兄姉たち)

家に招いて食事を振る舞ってくれたり と、いつも気にかけてくれていました。ほんとうに感謝でした。

13418843_785897191540160_5813595642405818441_n (2)次男はGPAの高い成績優秀者に与えられるHigh honourの一員として卒業できました。

昨年秋はホストマザーから「泣いてばかりで、勉強に手が付かない様子。きちんとグリーフケア受けられるよう一度日本へ返そうか?」というメールをもらったほど、一時期は勉強に集中できず、昨年の秋学期の成績がとても悪いと聞いていたので・・・
どうなることやらと思ったのですが、それまでの貯金があったためか、2教科は満足な成績ではなかったもののGPAにはさほど影響はなかった模様。Highest Honourにはなれなかったものの、よく頑張ったと思います。

13307498_10108668222659121_3368372797341821545_n6月4日(土)に行われた次男の卒業式には、自分自身が大学のファイナル(卒業試験)真っ最中の次女もサクラメントから飛んできてくれ、スタンフォードにいる私の兄と姪も姪孫を連れて駆けつけてくれました。13406764_785897518206794_5096043977413220623_n

 アメリカの高校卒業式では、名前を呼ばれると家族、一族郎党みんなで鳴り物を鳴らしたり、大きく名前を書いたプラカードを揺らして、祝意を伝えます。

鳴り物はなかったものの、ホストファミリーと私たちとで大きな声で名前を呼んであげることが出来てよかったです。

日本から長男、長女も一緒に渡米し、次男の卒業式を祝うことが出来ました。二人は仕事を長く休めないために翌週月曜日には帰国。私と次男はサクラメントに飛んで、Davisへ。

2016_06_10愛ちゃんのUCDav_176月10日(金)は次女の大学、UCDavis College of Agricultural and Enviromental Sciences の卒業式。こちらには次女のルームメイトのお母さんや、やはりスタンフォードから兄夫婦と姪っ子、そして姪孫が駆けつけてくれて、お祝いしてくれました。2016_06_10愛ちゃんのUCDav_9

農学系では世界一のUCDavis。卒業式での学部長の挨拶もとても力強く、卒業生に世界トップの教育を受けたことを誇りに思うようにと励ましてくれていました。

2016_06_10愛ちゃんのUCDav_8我が子ながら、ふたりのこの一年の精神的なタフさと、それを乗り越え、学業をきちんとこなして(次女は看護のために休学して)それぞれ卒業の日を迎えられたことは、感慨深いです。とくにたくさんの「あしながおじさん」たちに支えていただいていたことに感謝し、彼らもまた今後誰かが困っていたら手を差し伸べる存在になってほしいなと思います。

末っ子の卒業式を楽しみにしていた夫がその場に居られなかったことが残念でしたが・・・きっと空から見守ってくれていたと思います。