みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて35年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪ noteも書いています(https://note.com/child_books/)

2016年05月

1年の月日・・・

一年、ひと巡り。この日を迎えました・・・長かったような、短かったような・・・そんな時間でした。

あの日のパサデナの空は澄んだ青空でした。



2015年5月20日午前3時50分(アメリカカリフォルニア州時間 日本時間では5月20日夜7時50分)・・・この瞬間一周忌のことは、生涯忘れることは無いと想う。(医者に電話して駆けつけてくれるまで40分以上あったので公式には午前4時45分検死)

私が手を握る中で、最後の大きな息を吸ったかと思ったその直後、それまで苦しそうだった夫の顔が一気に和らいでふう〜っと大きく息を吐出し、そのまま息を引き取ったのです。

最期は日本で迎えたいという願いを叶えてあげることは出来なかったけれど、自分の部屋で下の子どもたち二人が見守る中で天国へ帰っていきました。もうこれ以上やれることはありません、と抗がん剤治療に通っていたサンタモニカにあるUCLAオンコロジーで言われてから5日後のこと。

日本で上の子達が必死で受け入れ先のホスピスを探していた矢先のことでした。19日の朝、帰国するためのケ一周忌2アのためにと在宅ホスピスを依頼することになり、ケアマネージャーさんが来てくれた時に言われた「この状態で飛行機に乗せることは無理です」という言葉。

なんとか最期は従兄妹たちや、趣味の蝶仲間さんたちにも逢いたいと言っていた願いを叶えてあげたかった・・・その望みが潰えて軽いパニックでした。日本時間19日の夜遅くにやっと吉祥寺にあるホスピスから無条件で(日本での診察歴がなくても)受け入れると言われてホッとした直後のことでした。

ケアマネージャーさんに、その週末24日に日本へ連れて帰るフライトをキャンセルして、日本の子達をすぐに呼び寄せるように・・・という言葉に、やっぱりそうだったんだと、4月末にホームドクターにぶつけた質問が(もう残された日々は少ないのではと、聞きに行ったのですが「抗がん剤副作用だ。6月までは判断できない」と言われたこと)頭の中でぐるぐると渦を巻き、その最期がもう間近なのだと愕然としたのが、昨日のことのように思い出されます。

日本の家族にすぐに成田へ向かうようにと言う電話をかけ続けるのに、長男も長女も夜遅くまで日本の受け入れ先との連絡に追われ、しかも受け入れが決定してホッとしたのか全然起きてくれなくて・・・時差があることがもどかしかったこと・・・やっと19日の午後、日本時間20日の朝、連絡が取れて、二人がそれぞれ急ぎの渡航準備をして空港へ向かったのを確認できたのが向こうの19日夕方。

成田から二人がLINEのビデオ電話で夫にも声をかけてくれて、「もうすぐで会えるよ」と励ましながら、過ごした夜。次女と次男と、すでに連日徹夜だった私と3人で交代での看護。

20日未明、私の番になってから・・・それを待っていたかのように・・・





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この一年は無我夢中で何がどうなったのか、ほんとうに訳がわからないままに過ぎてきたような気がします。こんな私を支えてくれていたのは4人の子どもの存在と、仕事と、絵本を通して出会った仲間たち、そして地元の一緒に活動をしてきた仲間たちでした。ありがとう・・・



寂しさも、悲しさも・・・心に空いた穴も、そう簡単には癒えそうにはないのですが。一年経ってやっと泣けるようになったかな。でもやっぱり、あの時もっと早く日本に連れ帰っていたら・・・とか、なんでセカンドオピニオン聞かなかったんだろとか、自分を責めてしまいます。

でも亡くなる1か月前までは自分で運転してサンディエゴまで蝶採集に出かけていたし(本当はもう強い鎮痛剤が処方されていたので、よく250キロの距離を運転して行って、砂漠地帯で棹を振り回せたものだと思うけれど・・・)、2週間前までは仕事もしていて・・・夫は最後まで全力疾走したんだから悔いはないよと、自分に言い聞かせたり。正解はないのよね。きっと・・・

そして何より、4月下旬から当初は2週間の予定で看護をし、大学が夏休みになる娘にバトンタッチして一旦帰国するつもりだったのを、様々な仕事をキャンセルして6月半ば過ぎまでアメリカに滞在できたことも・・・上司の理解があって、同僚や後輩たちが仕事の穴をカバーしてくれたわけで感謝しかない。

夫婦の間には29年間ずっと順風満帆だったわけではなく、何度も荒海に投げ出されるような危機もあったし、倦怠期もあったし、喧嘩もたくさんしたけれど、最後の日々を24時間そばにいて看護できたってことはかけがえのない時間だったと思う。神様に許されてそれが出来たことは奇跡としかいえない。




ところで・・・この一年、なにが大変だったかって・・・相続手続きでした。末っ子の高校卒業を見届けたいと願っていた夫は、抗がん剤でがんを抑えつつ、この6月の卒業までは何があっても生きたいと強く願っていたので、遺書はありませんでした。

遺書がなく未成年者がいると、特別法定代理人を立てないと、いろいろな相続が出来ない・・・銀行にあるお金もその他もろもろ引き継げないのです。司法書士に税理士・・・専門家の力をいただいて、なんとか乗り越えられたけれど、その代償も大きかったです。


もし、今、このブログを読んでくださる方々の中で、未成年のお子さんがいらっしゃる方は、「まさが自分たちが」なんて思わずに、ご夫婦で毎年新年に きちんと遺書を書いておかれることをおすすめします。そして次の年、ふたりが元気で歳を重ねられたら、感謝して書き直す。それを末っ子が成人になるまでぜひ続けてほしい。そうすれば悲しみの真っ最中に、そんな余分な煩雑な手続きをしなくても済むから・・・

本当に煩雑な手続きを重ねることで精神的に疲れてしまいますから・・・「備えあれば憂いなし」

樹木希林さんが、先日あるインタビューで言っていました。「死はいつか来る・・・ではなく、死はいつ来てもいい、そんな覚悟を」

14年前に兄が56歳で亡くなった時も、12年前に義母を看取った時も、11年前に義父を看取った時も、「死」はこんなにも身近に感じなかった。でも今回は「死」は他人事ではなく、人生に深く深く影響を及ぼしている。自分もきちんと備えをしなければと思うようになりました。

そして一期一会・・・人との出会いも大事にしようと感じます。会いたい人に会いに行ったり、観たいと思った絵や景色もその時に観ておかなくちゃと思うようになりました。「定年したら一緒に世界旅行に行こうね」と言う約束も死んでしまったら叶えられない。だから「今 」が大事だなって思います。


まずは昨年、6月に夫と行くことになっていた(フライトも宿泊先も取ってあった・・・)マドリード旅行、近々実現させたいな・・・ 

侵入者・・・

3月下旬から続いていた自宅リフォーム工事。一応連休前に一部の電気工事を除いて完了しました。

築29年、キッチンセットを全部取り替えたり、1階と2階のトイレをバリアフリー化して取り替えたりしたので、予算ガーデン大幅に超える大工事になりました。これから私が寿命尽きるまで住む家なのですから・・・しっかりと対策必要ですものね。

でも何より大幅な予算増となったのは2種の扶養家族のせい・・・

そのひとつはシロアリでした。

今回、リフォームのきっかけになったのはリビングの壁紙のカビ。調査してもらったら出窓の付け根に細かな亀裂が入り、そこから雨水が侵入していたということ。2010年に外壁を塗ってもらった時には異常なしだったので、たぶん東日本大震災で目に見えないくらいの亀裂が生じたようです。

それを契機に、家全体の外壁の点検をしてもらい、玄関脇のタイルの目地にも亀裂があることがわかりました。
そこにかんしては、目地を埋めるだけの予定でした。
20160409白アリ
ところが・・・なんと目地を補修しようとするとそこからうにょうにょとシロアリさんが出てきたんだそうな・・・担当者が慌てて勤務先に電話してこられたほど、驚きの新事実!

その時点では、家じゅうの柱がダメになったのかと・・・これは大変なことになったと思ったのですが、実際は玄関脇のその柱・・・2階出窓下から2階床の部分までの1.5mくらいだけが完全に食べつくされていて、他の柱までは被害が及んでいませんでした。ひとまずはホッ。20160409白アリ2

でもその柱は取り替えることとなり、その分工事延期・・・しかし外見では目地の脱落も目立たず、今回のことがなかったらそんなところでシロアリを養っているなんて気が付かず、もっと大変なことになっていたかも・・・
被害がこれくらいで済んで、ラッキーだったと言えますね。

シロアリは小さな亀裂でも見つけて内部に入ってくるのだとか・・・しかも雨が沁み込んで中の柱が湿っていれば、彼らにとっては最適な環境。食べつくされている柱の長さから、ここ1年くらいのことのようです。外見から見てタイル張りで絶対シロアリなんて発生しないと思っていたけれど、マンションなんかでも亀裂から入り込むことがあるのだそう。外壁の検査を数年おきにしなきゃっていうのは、大事なんですね〜


それから家ネズミ・・・

築29年の家ですから、11年前にこの家を買った時にも、屋根裏を走るネズミに気が付いていました。毎年、春先の一時帰国の際に必ず夫が天井の点検口からネズミ駆除用アースレッドを大量に焚いて追い出してくれていたのですが、去年はそれが出来ず、秋口からまた屋根裏を走る音がしていたのです。点検してもらうと、やっぱり居ました。ネズミのご一家。配線を齧ったあとまで発見!

今回のリフォームを機に、業者に入っていただいて、しっかりと駆除してもらって、また進入路をみつけてもらってそこを閉じることにしました。


追い出しても、捕まえても、また入って来る可能性があるとのことで3か月の間に6回、定期的に駆除をするとのこと。この費用が思った以上に高い!ネットで相場を調べても30万前後と出るので、たぶんこれが相場なんだろうけれど・・・

この連休は、文庫活動が出来るように、作り付けの書架も出来上がり工事のためまとめて積み上げている本をを戻す予定でいましたが、気力がまったく起きず・・・秋には開催にこぎつけたいので、ぼちぼち片付けていくことにします。
絵本仲間のみなさんにSOSするのも有りなのかなあ・・・ 

5月が巡ってきて・・・

5月になりました・・・

この1か月もまた落ち着いてブログを書く余裕がなく過ぎてしまいました。

そして昨日2016年5月3日に、結婚30周年を迎えました。1986年5月3日からちょうど30年目の朝、東京の空は晴れ渡っていて気持ちがよかったです。

でもその30周年を迎えた朝、一緒に祝う相手はこの世にはなく、昨年アメリカはLA郊外のパサデ
ナで一緒に迎2015結婚記念日プレゼント2えたのが最後になりました。

その日《2015年5月3日)の日記を見ると・・・
夜中には湯たんぽを使わないと寒さで体が震えていたのに、明け方には40度を超す高熱。ふらふらで少量の介護食(薄めの味噌汁、かぼちゃの煮物)、そして野菜ジュースを摂取するも嘔吐。

そんなふらふらな状態の中、ティファニーのコインケースをプレゼントしてくれたのでした。最後の一時帰国になった3月上旬、JALのLAに向かう便《2015年3月11日のJAL062便)の中で買っておいてくれたのだとか・・・30年目の来年は一緒に美味しいフレンチ食べに行こうね、それくらい元気を回復したいねと話し合っていたのです。アメリカの医療は日本とは全然違っていて、余命宣告などありませんでしたから、まさかそれが最後の一緒に迎えられる結婚記念日とは思いもよらずだったのです。

昨年4月、看護のために渡米した直後、これは厳しいと思って、ホームドクターに聞きに行ったのですが、治療チームの主治医が6月までのキモセラピー(抗がん剤治療)の予約を入れているということは、治る可能性にかけてるってことでしょう。今は2015結婚記念日プレゼントその治療に耐えられるだけの体力をつけることです・・・と言われただけでした。日本だったらとっくに余命宣告を受けるような状態だったのね。

それを思い出し、泣き出しそうになるのですが、昨日は 2年ぶりに開催された上野親子フェスタで、忍者隊としてお話会に参加することになっていて、くノ一姿で電車に乗20160503上野9り、友人たちとお話会に参加してきました。

お話会参加中は仲間たちと一緒に楽しく過ごせたのですが、午後自宅に戻ってからは精神的にとっても重くてついつい飲み過ぎてしまい、午後3時ごろからずっと寝込んでしまいました。

20160503上野8そんなグダグダな私ではありますが、備忘録的に前回ブログを書いたところからのあれこれをピックアップして記しておくことに・・・気が向いたら詳しく記してみようかとも思っています。 



4月2日(土) 絵本仲間4組5人でJTB旅物語の御柱祭観覧ツアーへ 初日は茅野駅到着後、「真田丸」で注目の上田城へ。満開の枝垂れ桜が美しかったです。茅野駅では友人の今井書店のしっぽちゃんが出迎えてくれました。

上田城の後は、諏訪へ戻り、御柱祭講座・・・御柱祭の歴史や地域の連携、伝わる木挽歌など教えてもらいました。そしてまたバスは 松代温泉へ。ツアーだから仕方ないけれど、長野県内を行ったり来たり。きっと諏訪地方の宿を取れたかったんだろうな〜募集チラシには諏訪湖周辺泊になってたのに・・・20160403御柱祭

4月3日(日)7年に一度開催の御柱祭。私たちが見たのは上社の御柱祭。下社の命懸けの木落しが有名ですが、こちらの木落しも勇壮でした。
川を挟んでの観覧席の一番前の席で、この日2番目の本宮ニノ柱の木落しを観ることが出来ました。 

その後、国宝松本城を見学に・・・いやあ〜ほんとに長野県内を南北に行ったり来たり。帰りの列車にはまた茅野へ戻ってくるのですからね。工程的にはなんとかならなかったのかと思いますが、それも仕方がないかな。

4月4日(月)N区の図書館でわらべうた講座。

4月5日(火)19:30〜おとな絵本プロジェクトよみきかせナイト@渋谷Co-ba Libraryに参加。

4月8日(金)19:30〜世古武志バースディライブ@下北沢SEED SHIP
バースディライブといっても世古さんの誕生日ではなく、お釈迦様の生誕記念ライブという不思議なライブ。絵本20160408世古さんライブ2友達えほんうるふさんのボイストレーニングの先生でもある世古さんは、仏像LOVEなんだそうで・・・仏像ソングをたくさん作って歌っているのですが・・・それが高じて釈迦の誕生日に毎年記念ライブを開いているのですって・・・そういえばキリスト教国でもないのにあれだけクリスマスは賑やかなのに、釈迦の誕生日、全然持ち上がってない仏教国日本はやっぱり不思議の国。画像は予約特典でついて来た仏面を被る友人たち

4月11日(月)19:00〜 スープの本を出版したばかりのお友達、かおるんさんのスープラボに参加。@湯島イワシハウス

4月12日( 火)19:00〜 チェリストの竹花加奈子さんのソロコンサートへ@市ヶ谷ルーテル教会ホール

4月13日(水) 7:00〜 おとな絵本プロジェクト朝活絵本@水天宮前芸術村20160413朝活絵本
私が担当するおとな絵本プロジェクトの朝活勉強会の2回目。テーマは「あなたの知ってるつるの恩返しはどれ?」でした。

4月16日(土)10:30〜 S区方南児童館での「のまりんの紙芝居劇場」とE図書館での「のまりんの紙芝居劇場」をはしご!
 
4月16日(土)16:00〜  クレヨンハウス子どもの本の学校25期最終回 落合恵子さんの回に参加

4月17日(日) 9:00〜 ファンタジー研究会 @代官山蔦屋書店Anjin 実に3か月ぶりの参加でした。
お題本は高楼方子さんの『緑の模様画』(福音館書店)でした。20160417ファン研

4月21日(木)19:00〜 マイティブック主宰「読むの木講座」 イラン・イラクの絵本や図書館についての貴重なお話がテーマでした。

4月22日(金)19:30〜 おとな絵本プロジェクト絵本夜話へ テーマは「キャラクター絵本ってどうよ!」

4月23日(土)14:00〜 四番町図書館絵本・読み聞かせ講座の講師として・・・詳しくは→こちら 
この日は午前中は、秋に93歳になる父の要支援認定についてのケアマネさんとの打ち合わせあり、リフォーム工事の追加分の支払い確認ありで、会場に入る直前までバタバタでした。
なんとか大役を果たせたかな・・・5月にもう1回あります。準備頑張らなきゃ!

4月27日(水)19:30〜 かおるんさんのスープラボへ再び。@荻窪6次元20160427スープナイト

4月28日(木) 9:00〜 代休をとって両親を連れて医者とケアマネとはしご・・・家の中でじっとしていることが増えたこの1か月。父の足腰が衰え始めてるので、毎週1回のリハビリディサービスをする方向で話し合いました。まだまだ元気でいてほしいものね・・・

そしてリフォームは完了。電気工事の一部と、床工事で気に入らない部分があるので、再工事お願いしすることになったものの、一応本工事完了でサインしました。午後は銀行を巡って支払いも完了。

4月28日(木)19:00〜 クレヨンハウス主催奥田愛基さん、浜矩子さんの講演会@中野ゼロホール

4月30日(土)9:50〜 I市I駅南図書館でのわらべうた講座2回開催

5月1日(日) 16:00〜 教文館ウェンライトホールで開催中の偕成社80周年記念展へ20160501偕成社

5月2日(火) 19:30〜 おとな絵本プロジェクト緊急開催熊本支援よみきかせナイトへ @渋谷 Co-ba Library   
 

こうやって備忘録的に書き出してみると、ひとつひとつをきちんとブログ記事にしたくなりました。

この連休はリフォームが終わって、片づけをしなきゃいけないのにいま一つ気力が湧かず・・・明日5月5日もまたPCに向かう気になったら記事を書いてみたいと思います。(今日はPCに向かうことで片付けから逃げてました・・・) 
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