私にとって、絵本って生活の一部、いや人生の中のかなりの部分を占めているものかも・・・
子ども時代から優れた絵本に囲まれて育って来て、人生のその時々で絵本が心の支えになったり、気持ちを切り替えるきっかけになったりと、絵本にはたくさんの思い入れがあります。
特に絵本は私にとってはコミュニケーションの助けともなってきました。
小さいとき、実家が教会で幼稚園と言う、特殊な環境で育ち、親は自分たちのためではなく、全くの他人のために必死になって働き、置いてけぼりになってるような気がしたものでした。そしてそこは家族以外の不特定多数が訪れる場でもあったのです。
いきなり現れる知らない子と「仲良くしてあげてね」と言われる、あるいは年下の子どもたちのシッターをしてねと頼まれる・・・そんなことがしょっちゅうあったのですが、絵本を開いて声に出して読み始めると小さな子達がまわりを囲んで聞いてくれて、それをきっかけに心の壁がなくなって。そんな経験をたくさんしてきたのです。
中学生から高校生の間は夏休みになると、毎日託児保育(共稼ぎの家庭のお子さんを特別に預かる保育)のお手伝いをしていました。午前中、たくさん遊び、お弁当が済んだ後は、涼しい部屋で横になってお昼寝をするのですが、毎日子どもたちのリクエストに応えて数冊絵本を読んでいました。
絵本の世界に子どもたちが入り込んで、自分もその登場人物に同化し、笑ったり、驚いたり、心を解放していく・・・そんなことを肌で感じていました。
大学で幼児教育を学び、絵本論のゼミで学び、そして大学院で子どもの想像性を育てる教育についての研究をしていく中で、ことばと絵と、そのバランスの妙を備えた絵本の持つ力、その魅力にますます惹かれていきました。
院を出て幼稚園に勤務していた期間、私は障害を持つ子どもたちの担当になりました。健常児と交ってクラスで過ごすのですが、それをサポートし、場合によっては別プログラムでフォローするような仕事をしていました。
ダウン症のお子さん、自閉症のお子さん、脳性麻痺のお子さん、いろいろな子どもたちと出会いましたが、絵本を介したコミュニケーションは、彼らの心を開き、またことばを誘発し、いろいろな変化をもたらしてくれました。
結婚してからは・・・自宅でのプレイルーム、文庫活動。海外転勤も含めての転勤族でしたが、絵本があることがいろいろな場所でのコミュニティー作りに役立ちました。
香港でも、東京でも、シンガポールでも、まずはプレイルームや文庫活動を立ち上げることで、新しい仲間と出会い、ママ友の輪が出来、我が子達もそうした賑やかなコミュニティーの中で育ってきました。
絵本が持つ力・・・絵本を通して、気付き、変えられていく・・・そういう体験をたくさんし、あるいはそうやって子どもたちが変容し成長して行く様を見てきたから、絵本の持つ力を信じています。
12年前に夫の母を遠距離介護していた時も、絵本を持って大阪に通いました。ホスピスで寝ている義母のそばでたくさんの絵本を読みました。末期がんで認知症も進んでいましたが、絵本を読むことで、義母の表情が変わり、会話がたくさん生まれました。
絵本は小さい子どもだけのものでもないと思っています。
・・・だから違和感を感じるのです。絵本セラピーという言葉に。
いや、絵本によるセラピーは有りえる。それがわかっているから、「絵本セラピー」という民間資格が出来ていて、それを数か月学んだだけで(普通、臨床心理士の資格を取るためには大学院修了が要件です)、絵本セラピストと名乗ることができる・・・ということに違和感を感じるのです。
「絵本セラピー」という言葉と、「絵本セラピスト」という言葉は、絵本セラピスト協会によって商標登録されており、他の人は勝手に使えない言葉でもあるのですが・・・
その違和感のきっかけは、2月21日(日)朝のNHKの番組「サキどり↑」という番組で、絵本のことが取り上げられたこと。
「おとなにも絵本を」というテーマで取り上げられていたのが、絵本セラピストの活動でした。社員研修で絵本を使って行っている「セラピー」の様子が映し出されていましたが、どう考えてもいわゆる自己啓発系のセミナーに見えました。
上記の絵本セラピスト協会のwebサイトには、こんな風に書かれています。
「サイコセラピー」は本来、精神医学・心理学・社会福祉系で用いられる言葉であります。「絵本セラピーR」という名称は「絵本を使った心理療法」と解釈されるので厳密には「絵本カウンセリング」という名称が適切かもしれません。
しかし、近年日本では「〜セラピー」という言葉が一般名称に多く見られ「〜療法」より軽い印象で使われています。逆に「カウンセリング」の方が専門的な治療行為をイメージさせるようです。このような日本語での語感を考慮して「絵本カウンセリング」とせず「絵本セラピーR」という名称を使用する事にしました。
なんだか、わかったような?わからないような?素人さんが見たら、「ふーん、そうなんだ〜。それで絵本の素晴らしさを伝えられるんだよね」って思って、高い受講料を支払って(基礎講座4日間86400円 実践講座5ヶ月実質5日172800円)、「絵本セラピスト」という資格を取る人の多いこと。
もちろんその学びが悪いとは思わないし、納得済みでその資格を取り、「絵本セラピスト」として企業研修などで活躍することも、それぞれの方の自由だし、構わないのですが・・・私には違和感しか感じない。
心を癒すってことは、そんなに簡単なことではない・・・
絵本を使った心理療法も、そんな数か月のセミナーで取得できるような軽いものではないはず。
番組で伝えられていたものは、絵本を読んで感想を語り合い、それをシェアする中で、その人が気付いてなかった問題に気が付くようになるっていうことでしたが、それは絵本そのものが持っている力なのだと思います。
何より絵本の力を使って商売(セラピーという名の)をしているのだから、著作権に関してはすべてクリアされているのかと協会に質問すると、
”基本的には児童書四社懇談会の出している「読み聞かせ団体等による著作物の利用について」というガイドラインに基づいて、許可申請が必要な場合には、出版社に許諾申請出すように指導しています。”
当り前やな・・・でも
”このガイドの中で「無許可で利用できる場合」の「6.非営利の上演等、但書に「実演、口述する人への交通費等の支払い、ボランティアの交通費、昼食代および資料費、会場費等のお話会の開催にかかわる経費に充当するために観客から料金を受ける場合は無許可で利用できることとします。」に当てはまる”という説明・・・
絵本セラピーって非営利でやってるのか・・・お金は取っていたとしても、資料費と会場費のみ?
”7引用( 引用される部分が「従」で、自ら作成する著作が「主」であること。引用文であることを明確に区分できること。出所の明示等)であれば、無許可で利用できる。絵本セラピーはお話会やよみきかせが主ではなく、心理療法、グループカウンセリングの技術、プログラムが主で、絵本は引用という考え方”
そっか、それだけ高度なグループカウンセリングの技術があるんだな!と思い、そこで絵本セラピスト協会の代表が書かれた著作も読んでみました。でも完全に肩透かし!特別なカウンセリング技術と思われるものは、ありませんでした。単なるファシリテーション技術
大学院の同期には心理学を専攻して臨床心理士の資格を取っている人もたくさんいますが、私は臨床心理士の資格は持っていないし、大学、大学院の課程の中で発達心理学、教育心理学を学んだだけなので、きちんと反論できるだけのものは持ち合わせてはいないけれど、その大学の授業で受ける心理学の学びと比べても、ほんとうに稚拙なカウンセリングの技術でしかなかったのでした。
そしてこの代表の方が学んだ日本メンタルヘルス協会というところを調べてみると、もっとびっくり!
日本メンタルヘルス協会の代表者のプロフィールが、えっ?これ心理学?っていう感じ。複雑な家庭環境下で育ち、義母の自殺第一発見者になったことと、ネイティブインディアンとの交流の中で人間の生き方の原点を学んだということは書いてあるけれど、どこの大学でどのような先生のもとで心理学を学んだかは一切記述されていないのです。今、流行りのヒーリング、スピリチュアル系にも見えて来ます。
日本メンタルヘルス協会学びが基礎になっていて、その理論を活用したものが、絵本セラピーであるとしたら、なんとも怪しげではないでしょうか?
そもそも絵本セラピスト協会のサイトにわざわざ断り書きがあるように、カウンセリング、セラピーという言葉の定義がいま一つ曖昧です。
〈カウンセラー〉
社会生活において個人が直面する悩みなどについて相談に応じ、適切な指導、助言をする人。精神医学、臨床心理学等を修めた専門家の場合は心理カウンセラーと呼ぶことがある
〈臨床心理士〉
患者や相談者のさまざまな心理的問題を面談や心理テストを通じて見立て、カウンセリングを行う臨床心理学の専門家
〈セラピスト〉
物理療法や、心理療法の治療士
〈セラピー〉
治療、療法。薬品や手術を用いないもの (以上、『広辞苑』第6班より)
今、スピリチュアル系のカウンセラー、セラピー、あるいは自己啓発といった民間資格がとても増えていて、広辞苑から引いた言葉はあいまいに用いられています。そしてスピリチュアル系のカウンセラーやセラピーなどは、現代人の心の闇を突いてとても大きな力を持ち始めていることは否めないのですが、そういう手法と絵本は相容れないと私は感じています。
このブログの最初につらつらと書いて来たように、絵本そのものに力があるのです。
そぎ落とした選ばれたことば。耳から聴いて理解できることば。しかも耳心地良いリズミカルなことばと、想像性を呼び覚ます絵によって、人が持っている「子ども性」(大人がもつ、子ども時代や子どものふるまいに対する想い=childness)に触れることによって、鎧を身につけていた硬い心がほぐれる・・・それが絵本の持っている力なのです。
それをいかにも特別なカウンセリング技術だとして「絵本セラピー」というのであれば、私は遠慮申し上げたいと思うのです。
この意見もあくまでも私個人の考え方です。そして個々の絵本セラピストの方々を非難するものではありません。
でも、できればそんな資格、取っ払って純粋に絵本の魅力に浸りませんか〜絵本そのものが心に触れてくれるのですから・・・へんな技術なんて要りませんよ!
そして何よりもここを声を大にして言いたい!絵本セラピスト協会代表の方が書かれた著作『絵本は心の処方箋』(岡田達信 瑞雲舎 2011)は、タイトルがそれより前に出版されたクレヨンハウス主宰落合恵子さんの著作『絵本処方箋』のパクリではないかと疑ってしまいます。(絵本セラピスト協会代表の方の著作への的確な感想を見つけました。全く同感→こちら)
落合恵子さんの著作は2010年5月発売。しかもその前年、ずっと新聞に連載されていたのです。
落合さんはこれをセラピーだとか、誰かの心を癒そうとか、そういう視点では書いていません。魅力的な絵本を紹介しながら、その絵本が持っている力をエッセイとして書いています。
読み比べると、その絵本に対する想いの違いも見えてくると思います。ぜひ両方を読んで、確かめてほしいなと思います。
(このブログの写真の書架は、我が家の絵本書架。この春、リフォームに伴ってもっと使いやすく集約する予定です♪)
子ども時代から優れた絵本に囲まれて育って来て、人生のその時々で絵本が心の支えになったり、気持ちを切り替えるきっかけになったりと、絵本にはたくさんの思い入れがあります。
特に絵本は私にとってはコミュニケーションの助けともなってきました。
小さいとき、実家が教会で幼稚園と言う、特殊な環境で育ち、親は自分たちのためではなく、全くの他人のために必死になって働き、置いてけぼりになってるような気がしたものでした。そしてそこは家族以外の不特定多数が訪れる場でもあったのです。
いきなり現れる知らない子と「仲良くしてあげてね」と言われる、あるいは年下の子どもたちのシッターをしてねと頼まれる・・・そんなことがしょっちゅうあったのですが、絵本を開いて声に出して読み始めると小さな子達がまわりを囲んで聞いてくれて、それをきっかけに心の壁がなくなって。そんな経験をたくさんしてきたのです。
中学生から高校生の間は夏休みになると、毎日託児保育(共稼ぎの家庭のお子さんを特別に預かる保育)のお手伝いをしていました。午前中、たくさん遊び、お弁当が済んだ後は、涼しい部屋で横になってお昼寝をするのですが、毎日子どもたちのリクエストに応えて数冊絵本を読んでいました。
絵本の世界に子どもたちが入り込んで、自分もその登場人物に同化し、笑ったり、驚いたり、心を解放していく・・・そんなことを肌で感じていました。
大学で幼児教育を学び、絵本論のゼミで学び、そして大学院で子どもの想像性を育てる教育についての研究をしていく中で、ことばと絵と、そのバランスの妙を備えた絵本の持つ力、その魅力にますます惹かれていきました。
院を出て幼稚園に勤務していた期間、私は障害を持つ子どもたちの担当になりました。健常児と交ってクラスで過ごすのですが、それをサポートし、場合によっては別プログラムでフォローするような仕事をしていました。
ダウン症のお子さん、自閉症のお子さん、脳性麻痺のお子さん、いろいろな子どもたちと出会いましたが、絵本を介したコミュニケーションは、彼らの心を開き、またことばを誘発し、いろいろな変化をもたらしてくれました。
結婚してからは・・・自宅でのプレイルーム、文庫活動。海外転勤も含めての転勤族でしたが、絵本があることがいろいろな場所でのコミュニティー作りに役立ちました。
香港でも、東京でも、シンガポールでも、まずはプレイルームや文庫活動を立ち上げることで、新しい仲間と出会い、ママ友の輪が出来、我が子達もそうした賑やかなコミュニティーの中で育ってきました。
絵本が持つ力・・・絵本を通して、気付き、変えられていく・・・そういう体験をたくさんし、あるいはそうやって子どもたちが変容し成長して行く様を見てきたから、絵本の持つ力を信じています。
12年前に夫の母を遠距離介護していた時も、絵本を持って大阪に通いました。ホスピスで寝ている義母のそばでたくさんの絵本を読みました。末期がんで認知症も進んでいましたが、絵本を読むことで、義母の表情が変わり、会話がたくさん生まれました。
絵本は小さい子どもだけのものでもないと思っています。
・・・だから違和感を感じるのです。絵本セラピーという言葉に。
いや、絵本によるセラピーは有りえる。それがわかっているから、「絵本セラピー」という民間資格が出来ていて、それを数か月学んだだけで(普通、臨床心理士の資格を取るためには大学院修了が要件です)、絵本セラピストと名乗ることができる・・・ということに違和感を感じるのです。
「絵本セラピー」という言葉と、「絵本セラピスト」という言葉は、絵本セラピスト協会によって商標登録されており、他の人は勝手に使えない言葉でもあるのですが・・・
その違和感のきっかけは、2月21日(日)朝のNHKの番組「サキどり↑」という番組で、絵本のことが取り上げられたこと。
「おとなにも絵本を」というテーマで取り上げられていたのが、絵本セラピストの活動でした。社員研修で絵本を使って行っている「セラピー」の様子が映し出されていましたが、どう考えてもいわゆる自己啓発系のセミナーに見えました。
上記の絵本セラピスト協会のwebサイトには、こんな風に書かれています。
「サイコセラピー」は本来、精神医学・心理学・社会福祉系で用いられる言葉であります。「絵本セラピーR」という名称は「絵本を使った心理療法」と解釈されるので厳密には「絵本カウンセリング」という名称が適切かもしれません。
しかし、近年日本では「〜セラピー」という言葉が一般名称に多く見られ「〜療法」より軽い印象で使われています。逆に「カウンセリング」の方が専門的な治療行為をイメージさせるようです。このような日本語での語感を考慮して「絵本カウンセリング」とせず「絵本セラピーR」という名称を使用する事にしました。
なんだか、わかったような?わからないような?素人さんが見たら、「ふーん、そうなんだ〜。それで絵本の素晴らしさを伝えられるんだよね」って思って、高い受講料を支払って(基礎講座4日間86400円 実践講座5ヶ月実質5日172800円)、「絵本セラピスト」という資格を取る人の多いこと。
もちろんその学びが悪いとは思わないし、納得済みでその資格を取り、「絵本セラピスト」として企業研修などで活躍することも、それぞれの方の自由だし、構わないのですが・・・私には違和感しか感じない。
心を癒すってことは、そんなに簡単なことではない・・・
絵本を使った心理療法も、そんな数か月のセミナーで取得できるような軽いものではないはず。
番組で伝えられていたものは、絵本を読んで感想を語り合い、それをシェアする中で、その人が気付いてなかった問題に気が付くようになるっていうことでしたが、それは絵本そのものが持っている力なのだと思います。
何より絵本の力を使って商売(セラピーという名の)をしているのだから、著作権に関してはすべてクリアされているのかと協会に質問すると、
”基本的には児童書四社懇談会の出している「読み聞かせ団体等による著作物の利用について」というガイドラインに基づいて、許可申請が必要な場合には、出版社に許諾申請出すように指導しています。”
当り前やな・・・でも
”このガイドの中で「無許可で利用できる場合」の「6.非営利の上演等、但書に「実演、口述する人への交通費等の支払い、ボランティアの交通費、昼食代および資料費、会場費等のお話会の開催にかかわる経費に充当するために観客から料金を受ける場合は無許可で利用できることとします。」に当てはまる”という説明・・・
絵本セラピーって非営利でやってるのか・・・お金は取っていたとしても、資料費と会場費のみ?
”7引用( 引用される部分が「従」で、自ら作成する著作が「主」であること。引用文であることを明確に区分できること。出所の明示等)であれば、無許可で利用できる。絵本セラピーはお話会やよみきかせが主ではなく、心理療法、グループカウンセリングの技術、プログラムが主で、絵本は引用という考え方”
そっか、それだけ高度なグループカウンセリングの技術があるんだな!と思い、そこで絵本セラピスト協会の代表が書かれた著作も読んでみました。でも完全に肩透かし!特別なカウンセリング技術と思われるものは、ありませんでした。単なるファシリテーション技術
大学院の同期には心理学を専攻して臨床心理士の資格を取っている人もたくさんいますが、私は臨床心理士の資格は持っていないし、大学、大学院の課程の中で発達心理学、教育心理学を学んだだけなので、きちんと反論できるだけのものは持ち合わせてはいないけれど、その大学の授業で受ける心理学の学びと比べても、ほんとうに稚拙なカウンセリングの技術でしかなかったのでした。
そしてこの代表の方が学んだ日本メンタルヘルス協会というところを調べてみると、もっとびっくり!
日本メンタルヘルス協会の代表者のプロフィールが、えっ?これ心理学?っていう感じ。複雑な家庭環境下で育ち、義母の自殺第一発見者になったことと、ネイティブインディアンとの交流の中で人間の生き方の原点を学んだということは書いてあるけれど、どこの大学でどのような先生のもとで心理学を学んだかは一切記述されていないのです。今、流行りのヒーリング、スピリチュアル系にも見えて来ます。
日本メンタルヘルス協会学びが基礎になっていて、その理論を活用したものが、絵本セラピーであるとしたら、なんとも怪しげではないでしょうか?
そもそも絵本セラピスト協会のサイトにわざわざ断り書きがあるように、カウンセリング、セラピーという言葉の定義がいま一つ曖昧です。
〈カウンセラー〉
社会生活において個人が直面する悩みなどについて相談に応じ、適切な指導、助言をする人。精神医学、臨床心理学等を修めた専門家の場合は心理カウンセラーと呼ぶことがある
〈臨床心理士〉
患者や相談者のさまざまな心理的問題を面談や心理テストを通じて見立て、カウンセリングを行う臨床心理学の専門家
〈セラピスト〉
物理療法や、心理療法の治療士
〈セラピー〉
治療、療法。薬品や手術を用いないもの (以上、『広辞苑』第6班より)
今、スピリチュアル系のカウンセラー、セラピー、あるいは自己啓発といった民間資格がとても増えていて、広辞苑から引いた言葉はあいまいに用いられています。そしてスピリチュアル系のカウンセラーやセラピーなどは、現代人の心の闇を突いてとても大きな力を持ち始めていることは否めないのですが、そういう手法と絵本は相容れないと私は感じています。
このブログの最初につらつらと書いて来たように、絵本そのものに力があるのです。
そぎ落とした選ばれたことば。耳から聴いて理解できることば。しかも耳心地良いリズミカルなことばと、想像性を呼び覚ます絵によって、人が持っている「子ども性」(大人がもつ、子ども時代や子どものふるまいに対する想い=childness)に触れることによって、鎧を身につけていた硬い心がほぐれる・・・それが絵本の持っている力なのです。
それをいかにも特別なカウンセリング技術だとして「絵本セラピー」というのであれば、私は遠慮申し上げたいと思うのです。
この意見もあくまでも私個人の考え方です。そして個々の絵本セラピストの方々を非難するものではありません。
でも、できればそんな資格、取っ払って純粋に絵本の魅力に浸りませんか〜絵本そのものが心に触れてくれるのですから・・・へんな技術なんて要りませんよ!
そして何よりもここを声を大にして言いたい!絵本セラピスト協会代表の方が書かれた著作『絵本は心の処方箋』(岡田達信 瑞雲舎 2011)は、タイトルがそれより前に出版されたクレヨンハウス主宰落合恵子さんの著作『絵本処方箋』のパクリではないかと疑ってしまいます。(絵本セラピスト協会代表の方の著作への的確な感想を見つけました。全く同感→こちら)
落合恵子さんの著作は2010年5月発売。しかもその前年、ずっと新聞に連載されていたのです。
落合さんはこれをセラピーだとか、誰かの心を癒そうとか、そういう視点では書いていません。魅力的な絵本を紹介しながら、その絵本が持っている力をエッセイとして書いています。
読み比べると、その絵本に対する想いの違いも見えてくると思います。ぜひ両方を読んで、確かめてほしいなと思います。
(このブログの写真の書架は、我が家の絵本書架。この春、リフォームに伴ってもっと使いやすく集約する予定です♪)