10月17日(土) 14:00〜 @銀座・教文館ウェンライトホール
リンドグレーンをはじめ、べスコフなどスウェーデンの絵本や児童文学を翻訳していらっしゃる石井登志子さんの講演会「作品にこめられたリンドグレーンの願い」を聞きに行きました。
今年はリンドグレーンの代表作『長くつ下のピッピ』が出版されて70年目。スウェーデン大使館でも長くつ下のピッピ生誕70周年記念イベント「子どもの居場所」が行われるなど、今年は関連イベントも目白押しでした。
その一環としての石井登志子さんの講演会でした。
『長くつ下のピッピ』については仕事で作成しているサイトでも紹介しました!→こちら
講演のオープニングでは、今年5月7日にスウェーデンで発行された『アストリッド・リンドグレーンの戦争日記(Astrid Lindgren's second world war diaries)』についてでした。
『長くつ下のピッピ』でデビューする前の1939年のドイツによるポーランド侵攻に始まり1945年8月の日本の降伏などを含めて、17冊の日記帳に新聞の切り抜きなどを貼り込んで、世界情勢が書き込まれていたものをまとめたものだそうです。
スウェーデンは第二次世界大戦には参戦していなかったけれども、同じヨーロッパの国々の動向を、二人の子どもを持つ32歳の母親であったリンドグレーンが固唾をのんで見守っていたということが、とても印象的でした。
さて、『長くつ下のピッピ』は、1941年生まれの娘のカーリンに寝る前におしゃべりをして聞かせていたおはなしから生まれるのですが、出版された当時、破天荒なピッピの姿にとんでもないという意見も多く、賛否両論、教育界を巻き込んだということ。おとなたちの心配をよそに、子どもたちにピッピは絶大な人気を誇り、それまで続いて来たスウェーデンのセンチメンタリズム、教訓主義に風穴をあけたのです。
アストリッド自身が、大人に干渉されることなく遊んで遊んで遊び倒した経験を通して、子どもが自分で考えて行動することが、とても大事であることを知っていたんですよね。
既成概念を打ち破り、おかしいと思う矛盾を徹底的に突くという姿勢は、今年日本で出版されたこんな本にも如実に表れています。
これは1978年にドイツ書店協会平和賞授賞式で行ったスピーチなのですが、当時子どもを躾をするのに体罰を容認する考え方があったのを、そういう養育方法を断固糾弾した姿勢は、ほんとうにすごいと思います。ダメなものはダメと、きちんと声に出して伝えてきた彼女の姿勢には、こちらも背筋がしゃんとしてきます。
石井さんは、講演の後半ではやはり今年出版された『リンドグレーンと少女サラ 秘密の往復書簡』についても詳しく話してくださいました。
リンドグレーンに手紙を送ったサラは当時12歳。物語が面白かったと伝える読者からのファンレターが多い中で、サラからの手紙は異色。自己顕示欲の強い手紙に、逆に惹きつけられたのかもしれません。このサラ、現在50代半ばを過ぎた私と同年代の女性ですが、なんと12歳で初めて手紙を出し、返事をもらうようになって、文通は20年近く続いていたのです。
サラ自身が親に暴力をふるわれていたという背景があり、不安定な10代の彼女を支えていたのがリンドグレーンの手紙であったことが、この本から伺えます。当時、リンドグレーンは世界的に有名な作家になっていて、多忙であったにもかかわらず、どんなに忙しくても、自分を求めてくる小さな声を切り捨てることがなかった、その姿勢に、彼女の作品がうわべのものではなく、作家の良心による、作家自身の生き方そのものだったんだということを改めて感じました。だから、リンドグレーンの作品が子どもの心を捉え、魅了するんだなとも思いました。
石井さんは、講演の間はきっちりと原稿を作ってこられて、その通りにお話をしてくださったのですが、質問コーナーになると、実際にスウェーデンでのお元気なころのアストリッド・リンドグレーンの姿や、娘さんとのやりとりについて伝える時には、その時のことを思い浮かべて楽しそうに生き生きとその様子を伝えてくださったことが印象的でした。
リンドグレーンをはじめ、べスコフなどスウェーデンの絵本や児童文学を翻訳していらっしゃる石井登志子さんの講演会「作品にこめられたリンドグレーンの願い」を聞きに行きました。
今年はリンドグレーンの代表作『長くつ下のピッピ』が出版されて70年目。スウェーデン大使館でも長くつ下のピッピ生誕70周年記念イベント「子どもの居場所」が行われるなど、今年は関連イベントも目白押しでした。
その一環としての石井登志子さんの講演会でした。
『長くつ下のピッピ』については仕事で作成しているサイトでも紹介しました!→こちら
講演のオープニングでは、今年5月7日にスウェーデンで発行された『アストリッド・リンドグレーンの戦争日記(Astrid Lindgren's second world war diaries)』についてでした。
『長くつ下のピッピ』でデビューする前の1939年のドイツによるポーランド侵攻に始まり1945年8月の日本の降伏などを含めて、17冊の日記帳に新聞の切り抜きなどを貼り込んで、世界情勢が書き込まれていたものをまとめたものだそうです。
スウェーデンは第二次世界大戦には参戦していなかったけれども、同じヨーロッパの国々の動向を、二人の子どもを持つ32歳の母親であったリンドグレーンが固唾をのんで見守っていたということが、とても印象的でした。
さて、『長くつ下のピッピ』は、1941年生まれの娘のカーリンに寝る前におしゃべりをして聞かせていたおはなしから生まれるのですが、出版された当時、破天荒なピッピの姿にとんでもないという意見も多く、賛否両論、教育界を巻き込んだということ。おとなたちの心配をよそに、子どもたちにピッピは絶大な人気を誇り、それまで続いて来たスウェーデンのセンチメンタリズム、教訓主義に風穴をあけたのです。
アストリッド自身が、大人に干渉されることなく遊んで遊んで遊び倒した経験を通して、子どもが自分で考えて行動することが、とても大事であることを知っていたんですよね。
既成概念を打ち破り、おかしいと思う矛盾を徹底的に突くという姿勢は、今年日本で出版されたこんな本にも如実に表れています。
これは1978年にドイツ書店協会平和賞授賞式で行ったスピーチなのですが、当時子どもを躾をするのに体罰を容認する考え方があったのを、そういう養育方法を断固糾弾した姿勢は、ほんとうにすごいと思います。ダメなものはダメと、きちんと声に出して伝えてきた彼女の姿勢には、こちらも背筋がしゃんとしてきます。
石井さんは、講演の後半ではやはり今年出版された『リンドグレーンと少女サラ 秘密の往復書簡』についても詳しく話してくださいました。
リンドグレーンに手紙を送ったサラは当時12歳。物語が面白かったと伝える読者からのファンレターが多い中で、サラからの手紙は異色。自己顕示欲の強い手紙に、逆に惹きつけられたのかもしれません。このサラ、現在50代半ばを過ぎた私と同年代の女性ですが、なんと12歳で初めて手紙を出し、返事をもらうようになって、文通は20年近く続いていたのです。
サラ自身が親に暴力をふるわれていたという背景があり、不安定な10代の彼女を支えていたのがリンドグレーンの手紙であったことが、この本から伺えます。当時、リンドグレーンは世界的に有名な作家になっていて、多忙であったにもかかわらず、どんなに忙しくても、自分を求めてくる小さな声を切り捨てることがなかった、その姿勢に、彼女の作品がうわべのものではなく、作家の良心による、作家自身の生き方そのものだったんだということを改めて感じました。だから、リンドグレーンの作品が子どもの心を捉え、魅了するんだなとも思いました。
石井さんは、講演の間はきっちりと原稿を作ってこられて、その通りにお話をしてくださったのですが、質問コーナーになると、実際にスウェーデンでのお元気なころのアストリッド・リンドグレーンの姿や、娘さんとのやりとりについて伝える時には、その時のことを思い浮かべて楽しそうに生き生きとその様子を伝えてくださったことが印象的でした。